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富山家庭裁判所 昭和49年(家)484号 審判

申立人 杉原恵子(仮名) 外一名

主文

本件申立を却下する。

理由

1  申立の趣旨および実情

申立人はその氏「杉原」を父の氏「長谷川」に変更することの許可を求め、申立の実情として、申立人は昭和三五年一月二九日母杉原町子の非嫡出子として出生し、昭和四四年一月二九日父長谷川忠夫の認知を受け、昭和四七年六月三〇日親権者を父忠夫と定められ、出生以来現在まで父母と同居して父の氏「長谷川」を事実上称してきたものであるが、高校進学に当り正式に父の氏を称したく本申立に及んだと述べた。

2  当裁判所の判断

家庭裁判所調査官の調査の結果によれば、上記申立の実情として述べられた各事実のほか、以下の事実が認められる。

申立人の父長谷川忠夫(明治四三年七月一一日生)は昭和一〇年に妻かつと婚姻し妻との間に七人の子をもうけた。その後、昭和二五年頃同人は○○県××市において新たな事業を始めたことから、妻子を××県△△市に残して単身××市に住むようになり、妻子には生活費を支給し、夫婦が相互に両地を往復する生活が始つた。

ところが、昭和三四年頃上記長谷川忠夫は事業所の従業員であつた申立人の母杉原町子と親密になり同棲生活を開始し、翌年には申立人の出生をみるに至つた。このことは間もなく妻かつの知るところとなり、当時関係者の間で話合いが持たれた結果、上記杉原町子が長谷川忠夫に対し、一定限度以上の財産的要求はしないことおよび申立人の認知を求めないことを約束し、その旨記載した誓約書を差入れることで当面の解決とした。しかしそれ以後も両人の関係は解消することなく継続し、申立人の認知もなされ、申立人を含めての共同生活は通常の婚姻家庭と異らない実体を有するようになつて現在に至つている。従つて申立人は出生以来両親のそろつた家庭環境の中で養育され、その母と共に事実上「長谷川」の氏を称して生活し、自らが非嫡出子であることを特に意識しないで成長し、現在高校一年に在学中である。

一方、長谷川忠夫と××県にいる妻子との関係は同人が年に何回か妻子のもとを訪れる程度の疎遠なものとなり、生活費の送金も当初は励行されていたが次第に不充分なものになつたため、妻かつは精神的にも経済的にもかなりの苦労を味わつてきた。しかし両者の交流は現在でも全く途絶えたわけでなく、また双方離婚の意思は持つていない。

本件は申立人が一五歳未満であつた時期に申立人の父忠夫によつて申立てられたものであり、同人は申立人を自己の戸籍に入籍させることに大きな意義を感じている。申立人自身も、これまでは事実上父の氏を称して支障がなかつたが、将来戸籍上の氏を使用しなければならない場合も予想されるので、戸籍上の氏を父の氏に変更することを希望している。

これに対し、申立人の父の妻である長谷川かつは、本件申立に対し、永年夫に裏切られ申立人の母には妻の座を脅かされ続けてきたのに、このうえさらに夫の非嫡出子の入籍によつて夫婦の戸籍が汚されることは堪えられないと強く反発しており、申立人の異母兄姉らもその母の意向に同調している。

以上認定の事実関係に基づいて本件申立の当否を考えるに、まず、夫の守操義務違反の結果生れた子を夫婦の戸籍に記載することに反対する申立人の父の妻の気持を顧慮するかどうかが問題となる。現行法上申立人が父の戸籍に記載されることによつて父の妻あるいは嫡出子との間に新たな身分関係を取得するものではないこと、戸籍上申立人の父の身分事項欄には既に申立人を認知した旨の記載があり、入籍すると否とにかかわらず申立人の存在は戸籍上表示されていることにてらせば、申立人が入籍することに対する妻の反対は実益を伴わない感情的反発ともいえる。しかしながら、現行法上戸籍の性格を一義的に規定することは困難であるにしても、大多数の戸籍は夫婦を単位として編製され、夫婦の間に生れた嫡出子は当然にその戸籍に記載されることになつている点からすれば、一般の国民が戸籍というものの中に夫婦とその間に生れた子からなる小家族的共同体の公的表示という性質を見出すことは極めて自然であり、そのことをもつて戸籍に対し不当な意味づけをするものとはいえず、また、必ずしもそれが旧法的意識に根ざすものともいえない。そして戸籍に対するこのような観念が現実に存し、かつそれが特に排斥されなければならないものでない以上、夫婦の戸籍に夫の非嫡出子を入籍させたくないという妻の感情は、婚姻秩序維持の見地から一応の法的保護に価するものといわなければならない。

一方申立人は出生以来父母と同居し、母と共に事実上父の氏を称し父の収入によつて生活してきたものであり、このことによつて申立人の家庭は実質的にもまた外観上も通常の婚姻家庭と変りのないものとなつているのであるが、父の氏を称することが事実上のものである限り今後の社会生活においてこれの使用が許されない場合の生ずることが予想され、その場合申立人は永年慣用した父の氏の使用を止めるかまたは二個の氏を使い分けるかしなければならない。そして申立人はこれによつて生活上の不便を感ずるほか、自己の非嫡出子であることを明確に認識せざるを得ないし、その事実は多少とも対外的に明らかにされる。従つて申立人にとつて戸籍上父の氏になることは上記事態を回遊できる点で利益があることは明らかである。

ところで、現行法のもとにおいては子の氏変更の問題と入籍の問題とが密接不可分の関係にあるため、妻が夫の非嫡出子の入籍に反対する場合、妻と非嫡出子の前記各利益のいずれかが他方に譲歩しなければならないことになる。そしてそのいずれかが譲歩すべきかは必ずしも一律に決し難いが、申立人がこれまで実質的に嫡出子と変らぬ環境で生育し外部からもそのように見られてきたことの反面には、申立人の父の妻および嫡出子が夫不在、父不在の生活を余儀なくされてきた事実の存することを考えると、申立人の現在の環境を既成事実として尊重することを上記妻らに求めることは公平を欠くというべきであり、また、申立人が非嫡出子であるという事実に変りはないのにその現実を隠蔽することが果して子の福祉を考えるうえでどれほどの意義があるか疑わしいことにてらし、上記妻の反対を排してまで申立人の氏をその父の氏に変更することは相当でないといわなければならない。

よつて、本件申立を却下することとし主文のとおり審判する。

(家事審判官 清水信之)

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